文系大学院で学ぶ意味を問われると、これほどに辛いことはない。
実学志向の世の中では、社会科学や人文科学などを修める努力など概して評価されない。
もちろん一部は除かれる。
わたしは決して固い志を持ち大学院に進んだ口ではない。
就職活動も気が乗らないし、もう少し勉強してみたい気、
というか勉強はやればできるという自信、があったから進んだ。
進んでみて、自分の自信はあまり覆されなかったが(この過信を完全に突き崩されることを少し望んでたんだけど)、
自分の知識や理解の足りない分野、農業経済における政策、民族、計量経済等々については、特にはっきりと気付かされた。
こういった部分、もちろん自分で補うのが大学院という所であり、
自分で自分の尻をある程度ぬぐう(自分で勉強するということね)自信をつけるのが大学院という場所だ。
と、思うことにしている。
だけれども、まだ自分自身いろいろと研究だけでは心配だったから大学院の外の世界にも顔をだしていた。
就職セミナーや有名人の講演、松下政経塾の研修プログラムにも通ってみた。
こういう外の世界で活動してみて面白いことは、
自分の研究分野を相対化して、世間の皆様に説明する必要があることだ。
これができないと、世間の皆様に一人の人間として認めて頂けない。
モラトリアム、これは決して悪い事じゃないと思うのだけど、
世間の目線は高等遊民モラトリアムにあまりに冷たい。
これは後々就職活動にも通じることであり、
大学院生のすべき仕事の十分ラインだと思う。
要するに何が言いたいかというと、
文系大学院に進学するのも悪くありませんよということ。
関心ある事象を好きなだけ追えるし、世間体もけっこう悪くない(周りの大人は評価してくれます)。
人生の隙間隙間にに世間と勝負するだけのスキルを身につければ、
世間様とは結構戦える。
私は大学院進学する皆様を応援しています。